先日、こんな事がありました
家の地元の神社で開催された秋祭りの夜宮に行った時の事
いつもなら、混雑を避け21時を過ぎてから向かうのですが
その日は何故か連れが『ちょっと早く行こう』と言い出しました
道しるべは内心
『ちょっと早いなぁ、その時間込んでるなぁ、人込みやだなぁ』と思ったんですが
しかし、ふと
『いや、でもまぁ、いいか。連れが行きたいならそうしよう』と思い直し、
ちょっと早い20時過ぎに神社へと向かいました
神社の近くまでは車で向かい、少し離れた駐車スペースに車を止めます
時を同じくして、その日は満月
夜空に浮かぶ真ん丸なお月様を見上げながら
連れとテクテクと神社に向かって歩きます
程なく神社に到着すると、何とまぁ
神様を神輿に降ろす儀式の真っ最中の行列に出くわしました
『丁度、良い時に来たなぁ~』
氏子さんの太鼓や笛の音が響き渡る
何とも賑やかな行列を眺めながら、幸せを感じる
その余韻を感じながら、氏神様へのご挨拶に本殿へと向かいます
すると、またもベストタイミングが待っていました
本殿では地元の繁栄と安寧を願う大祓い祝詞奏上の真っ最中
『ラッキー♪』
連れと二人で小躍り♪
祝詞という厳粛な行事を前に、何とも軽いテイスト(笑)
それでは!!と大祓い祝詞と同時に参拝させて頂く事にします
お賽銭を入れ、2礼2拍手一礼
道しるべも祓い祝詞を唱え、神様にご挨拶し、諸所祈願
無事参拝を終え、そそくさと、本殿の階段を降りる
と、連れが道しるべに一言
『神主さんが直々にお祓いしてくれていたの、氣付いた?』
『ん?何?何の話?』
全く意味が分からない道しるべは、連れに聞き返します
連れは答えます
それは道しるべが祝詞・祈願をしている時の事
連れの顔の直ぐ近くで、バサッバサッと何かを振る音が聞こえたらしいのです
そのあまりの音の近さに、氣になった連れがうっすら目を開けると
何とビックリ、目の前に神主さんが!!
そして、あろうことか、このタイミングで参拝していた道しるべと連れに対して、直々に御幣によるお祓いをしてくれたんだそうです!!
マジですか~っ?
『おぉ~っ、何と!!祝詞と祈願に夢中で、全く氣付かなかった!!ラッキ~じゃんか~♪』
能天氣に喜ぶ道しるべを横に
『お賽銭が微々たるものなのに、ありがとうございます』
と、深々と一礼する連れ
このギャップ(笑)誠にお恥ずかしい(恥)
その後、我々は恭しく本殿を後にし、摂社・末社の参拝を終えます
嬉しい出来事の連発に、道しるべは意氣揚々と来た道を戻りながら考えます
何故、こんな奇跡的なタイミングがいくつも起こったのかなぁと
導き出した道しるべの答えはこうです
『全てを受け入れ、手放し、本来の自分の望みを叶えたから』
では、どういう事か考えてみましょう
道しるべの本来、根本の望みは
【連れと祭りに行って氏神様に挨拶をする事】です
人は誰しも変化を嫌います
これは、脳に組み込まれている生命を守る機能に由来していて、自分に不都合なものを排除しようとする人のシステムです
という事は、人混みが苦手な道しるべにとって、混んでいるお祭りに行く事を、脳は大きな変化と捉える
だから、連れに早く行くと言われた時に躊躇した訳です
しかし、待って下さい
道しるべの本来の望みは違いますよね
それは、【連れと祭りに行って氏神様に挨拶をする事】であって
【空いている時間にお祭りに行く事】ではありません
これは、あくまで本来の望みを快適に遂行する為の後付けの望みなんです
こういう後付けの望み、いつの間にかくっついちゃってる事って、みなさんにもありませんかね?
就職に求める条件や理想の結婚相手などなど(笑)
実は、この後付けの望みが自分を苦しめる結果になるって事が結構多いんですよー
何故って、それは、自ら願望現実のハードルを上げちゃってる事になってますから(笑)
道しるべの場合、本来の願望は、【連れと祭りに行って氏神様に挨拶に行く事】であった筈です
しかし、蓋を開ければあらビックリ
快適さを求めた余り
『空いている時に!!』と『この時間に行く!!』という願望が二つも増えてる(汗)
単純に考えて、叶える望みが増えればその為の労力は増えますから、ハードルは上がりますよね
更に突っ込むと、これは自分でメンタルにストレスを掛かけている事にもなっちゃいます
何故って、裏を返せば『目標』や『望み』を持つ事事態が制限を作っているとも考えられますからね
そう成りたいと望むという事は、ある意味その枠にはまるという制限です
制限があれば、通常人は苦しみを覚えますから、自ずとメンタルにストレスが掛かっちゃいます
とはいえ、メンタルにストレスが掛かる事が全て悪い事ではありません
実際、数々の実験である程度のストレスは人のモチベーションを上げる事が分かっていますから
しかし、そのストレスが多過ぎればその逆の作用を及ぼす事も分かっているので、この後付けの望みは様々な弊害を呼び、願望の実現を遠ざけると考えられます
ヤベー(笑)
そうなんですよ
夢を叶える為には手放す事が重要だとはこれなんだと思います
余計な後付けの望みを取っ払い、本来自分が求めているものをシンプルにしていく
その結果、余計なストレスが無くなり、かつ自分の本能の望みにストレートに行動出来る
望みがシンプルなら、それを叶える為の行動もシンプルなものになるって事です
故に願望の実現が容易になったり、早まったりする
それじゃあ、シンプルにするにはどうしたら良いのかって?
知りたいですよねー
じゃあ教えちゃいます!!
その方法の一つが
『人の望みを叶えてあげる事』
要するに利他的に行動する事です
利他的というのは自分より相手を優先し、受け入れる事になりますから、結果、自分の望みを手放す事にも繋がります
今回の件で言えば、連れの望みを優先したのがそれですよね
えっ、じゃあ、いくつもの絶妙なタイミングはなぜ起こったのかって?
それは、道しるべが無理のない幸せな状態だったからです
考えて欲しいんですけど、道しるべの望み【連れと祭りに行って氏神様に挨拶をする】を叶えるのは難しい事だと思いますか?
いいえ、決しってそんな事はありません
これ、大して難しくないですよね
それこそ、ほぼ神社に行けば何の苦労無しに誰でも出来るレベルですから
という事は、道しるべは既にその望みを持った時点で、それを達成したと安心出来るレベルと言っても良い
要するに道しるべはその時、既に望みを達成したと確信して、幸せを感じている状態という事です
そして、実はこれが大きな意味を持ちます
それは、量子力学の世界では、人の意識が現実を確定させると分かっているからです
どういう事か?
道しるべは、神社に行く前から安心している幸せな状態です
これは、常に幸せを意識している状態になります
とすれば、、量子的に考えて、この時の道しるべの意識は幸せな現実を常に確定させているという事です
という事は、益々幸せな状態が確定していくエンドレスハッピー状態という事にもなります
その結果、幸せを常に意識し、確定し続ける道しるべに、更に幸せを感じる奇跡的な出来事が起こったと考えられますよね
で、この状態になったのは何故か?
はい
それは連れの望みを優先したからですよね
この利他的な行動が自分の望みをシンプルし、更に容易に達成出来るものに変化させ
その結果、自分が常に幸せを意識出来る状態になり、益々幸せが確定して行ったという訳です
自分の望みより、他人の望みを優先する=すべてを受け入れて手放す
一見自分が損をしてしまう様で、中々難しい行為ですが
これが結局『本来の自分の望みを叶える』近道の一つなのかもしれません
情けは人の為ならず
みなさんも中々自分の望みが叶わないって時は
誰かを幸せにしてみると良いかもしれませんよ
実際、そうした事で、道しるべは、連れ共々望みが叶ったばかりか、更なる奇跡的体験まで経験する幸せな状態を手繰り寄せていますからね
そして、実はこの神社参拝での奇跡の様なタイミング体験には、まだ続きがあるんです
それについては、
『パラレルワールド・会いたい人に会える魔法』の回でお伝えする事とします
あなたを護る存在は、いつでもあなたの中にいます
今日も幸せ待った無し!!
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